1953年、東京渋谷生まれ
高校に入った頃ジャズに開眼し中牟礼貞則に師事、
今田勝に認められライブスポットコンサートに出演。
1971年、東芝からデビユー・アルバム「インフィニット」を 出し天才ギタリストの出現と注目される。
その後、鈴木勲、渡辺貞夫など国内のト ップグループに在籍する傍ら、 自己のバンドでも活発な活動を行う。
79年、坂本龍 一、矢野顕子、村上秀一等、
気鋭のミュージシャンたちと伝説のオール・スターバンド「キリンバンド」を結成し
当時のミュージック・シーンに衝撃を与える。
同年 秋に敢行された「イエロー・マジック・オーケストラ」のワールド・ツアーに参加、
各国各地で大絶賛を博し“KAZUMI”の名を一躍世界的なものとする。
80年、記録的な大ヒットとなったアルバム「トチカ」を発表。
同時に自己のグループを率いての全米ツアー、アジアツアーを行い大成功をおさめる。
1984年、ジャズディスク大賞(日本ジャズ賞、第18回)
1991年、南里文雄賞を受賞。
94年「おやつ」翌年「遠足」とアコースティクギター・ソロに新境地をみせる。
一方、96年ミノ・シネルと「esprit」発表。エスニック&プリミィティブな感性は、
新たなエレクトリック・バンドの方向性を暗示し各方面で絶賛される。
秋には初のアフリカツアー。
1997年6月にはフランスの伝説的ジプシーギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトに敬意を表した、
ヨーロッパでも価値の高い賞「DJANGO D'OR97'」(金のジャンゴ)の授賞式コンサート、
さらにはジャンゴ・ラインハルト・フェスティバルにも招かれ、彼の息子であるギタリスト、
バビクと共演賞賛を浴びる。 その他「パリ音楽の日」イベントでのピカソ美術館における
初のソロコンサート、「パリ日本年」での文化交流など、今後のヨーロッパでの活動も
大いに期待されている。
国内においてはジャズ誌の老舗「スゥイングジャーナル・ジャズメン人気投票」で、
24年間連続ポールウィナーの座をキープ。
ジャズというジャンルを越えて、すべての音楽ファンに評価される実力と人気を兼ね備え、
作編曲においても現代音楽にいたるまでの幅広い作風でクロスオーヴァーな魅力は
演奏にとどまらない。 96年より洗足学園ジャズコースの客員教授に招かれる。
97年7月にはヒルトップスタジオ(有)を設立し、
94年より参加してきたプロジェクト「アイレ・スーパー・ユニット」のリーダー
、ピアニスト、作曲家である谷川公子とのパートナーシップにより、
音楽を中心とした様々なイベントプロデュースも行い、
映像や舞台、空間、旅、風土、造形、などとの、ジャンルを越えたコラボレーションを展開する。
98年3月、静岡県沼津市において、自己のハイパー・エレクトリック・トリオ《青い山脈》
(ベース青木智仁・ドラム山木秀夫)にピアノ山下洋輔、
そして筒井康隆をクラリネット奏者として招いて「ジャズ大名スーパーセッション&トーク」を
プロデュース。 同年、沼津市より「燦々(さんさん)ぬまづ大使」を任命される。
1998年6月、ニューヨーク録音によるピアニスト小曽根真とのデュオアルバム「ダンディズム」を
ポリドールよりリリース。
クラシックギタリスト福田進一とのデュオによる初のDVD作品「禁じられた遊び」も
7月にパナソニック・デジタルコンテンツより発表された。
1999年2月20日、日本を代表する作曲家、故武満徹氏のトリビュートとして東京オペラシティで行われた「鈴木大介リサイタル」に出演。武満の映画音楽作品のみならず、
バッハの「マタイ受難曲」なども演奏し、新境地を開く。
99年3月、ボトムライン New York にてライブレコーディング。
マイク・マイニエリ、ラリー・コリエル、ミノ・シネル、ジョン・パテトゥッチ、
そして矢野顕子をゲストに迎えたこのアルバム「ワン・フォー・オール」が、
99年6月16日にポリドールよりリリース。スーパーメンバーによる
、20世紀最後のカズミの痛快なライブセッションは、本人がホストをつとめるCBCの
テレビ番組「魂に聴け!」と連動していて、早くもその映像のメディア化が熱望されている。
エッセイストとしても活躍し、インターネットのホームページ及びネットワークにおける
新たなアプローチが注目されている。
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